かりんとうblog

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まっすぐに~ 大韓民国 安保意識!


 以前、韓国で何かおきたらって緊急番号の話をした
 古い公衆電話に貼ってあるし、間諜申告なんて時代掛かってるなぁと思った記憶があるけど
 何とソウル地下鉄の広告にありました

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  皆の安保意識が竹のように真直ぐに守られるとき
  大韓民国は堅固になり、国家競争力が強化されます

  間諜・テロ・国際犯罪・産業スパイ 申告は111



 番号は変わってるみたいですね
 以前からあって僕が気付かなかっただけなのか、李明博政権からのことなのか。。。


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 申告  ■国家情報院:111              ■間諜線? :最高 1億5千万ウォン
 相談  ■ 警  察  :113        賞金   ■ 間 諜  :最高 1億ウォン
      ■国軍義務部隊:1337            ■左翼事犯 :最高 3千万ウォン


 左翼事犯3千万ウォンってとこが、李明博っぽいかな
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by gongduck | 2009-06-09 21:46 | 韓国のこと日本のこと

避難訓練?


 3月16日14時、孝子洞の土俗村で参鶏湯食べて、ソウル大学病院へ向おうとタクシーに乗った途端。。。

 サイレンが鳴り15分にわたってタクシーの中に缶詰めになりました。      避難訓練でした

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 慶福宮(青瓦台)のすぐ傍にいたから、もしかするとソウルの中心部だけだったかもしれない
 周囲の信号がすべて赤になって、軍用・警察車両を除くすべての車は停車

 市庁駅あたりで云々、生物化学兵器か核兵器が使用された模様云々。。。 ラジオで言ってます


 以前、北朝鮮がノドンかテポドンか前にミサイル発射実験してすぐの避難訓練で、
 何年か何十年かぶりに、ソウル市民がちゃんと地下鉄や地下道に避難しました。みたいなニュースになってた

 まさかね、自分がそれに立ち会えるとは。。。
 残念ながら、自分に見える範囲の状況しか分からないんだけど、車両は全部止まってた
 歩行者は(平日昼過ぎであまりいなかったけど)、車の止まった道を余裕で横断してた
 運転技師のおじさんは、少しイライラしつつも従ってた。メーターも止めてくれた
 ラジオでは、年配の男性の声で淡々と読み上げてる感じ。使われる言葉は硬い。
 平坦に喋ってるけど、軍隊的というか高圧的というか、最後の国民の協力が云々ってくだりも何だか上から

 まず男性は皆軍隊に行くから、留学中、それほど軍人が尊敬される印象はもたなかったけれど、
 休暇中、私服に戻らずにワザと迷彩服で遊ぶ兵役中の若者は沢山いるし、
 そういう若者が酔払って少々無茶しても、大目に見るんだよって話も聞いたし、
 俺達の頃に比べると今の兵役は遊びだって唾を飛ばして捲し立てる運転技師のおじさんにも遭遇した
 まだ確信は持てないけれど、配属部署(もしくは代替兵役)がその人の人格形成にずいぶん影響してる気もする
 人格というか、人との関係の持ち方というか。。。まだ上手く言えないけど。

 軍隊という世界自体、僕には分からない、入れない世界(関係)だから仕方ないとして、今回の避難訓練を、ラジオ放送を、
 隣にいた技師のおじさんをはじめとする韓国人(男性)がどういう感情で受け止めてたのかが、妙に新鮮で気にかかった

 今思い返すと、僕の感じた違和感や圧迫感は、あの避難訓練やラジオ放送が軍隊というより軍上層部やいわゆる軍部だったからなのかなと
 軍隊経験とは別の、韓国人にとっての軍部(軍権力)
 韓国人にとっての愛国と、軍部(財閥を含む権力者)のいう愛国
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by gongduck | 2009-04-05 11:32 | 韓国のこと日本のこと

位牌 위패

前々から気になっていたこと。

「A級戦犯の位牌がまつられている靖国神社」(朝鮮日報日本語記事)

それに対する「靖国神社に位牌なんてね~よ」って反応(例えばこちらとかこちら)。


ここには二重、もしかすると三重の翻訳の難しさ、危うさがある。
さらに日中韓の三国の場合、なまじ漢字文化圏にあるから、便利な面もある代わりに誤解を招き易い面もある。
靖国を巡るネタの場合、まず日本(語)のニュースを韓国(語)で伝えるという翻訳の第一段階があり、そんで上の朝鮮日報記事は、韓国語記事をさら日本語に翻訳したもの。翻訳の第二段階。

まず靖国神社をどう韓国語で伝えるかなんだけど、一応そこには遺骨や「位牌」はなくて、単に名簿があるだけだということは伝えられているみたい。(→この記事
んじゃ、例えば靖国に祀られた韓国人軍属を祀らないで(分祀?して)欲しいとき、「位牌を返せ」ではなくて、「名簿を返せ(名簿から名前を消せ)」と言えばいいのだろうか。どっちにしろ神社側は「一旦合祀した御霊は分祀できない」と言うと思うけど。。。

う~ん。何か話かみ合ってないな。
多分、神社側としては名簿を祀ってるとは言わないと思う。事象としてそうなんだけど、「名簿」は宗教的じゃない。だから単に名簿に名前を書き加える行為であっても、絶対に「名簿に書く」なんて表現はしないし、代わりにそれを合祀という言葉で言う。
分祀をして欲しい韓国人軍属の家族も、事象としては名簿から名前を消せということなんだけど、靖国神社みたく宗教的に表現すれば「位牌を返せ」ということになるのではないかな。

何か話がずれて行ってる。。。
靖国を韓国(語)でどう伝えるか?
名称は一応、야수쿠니 신사【ヤスクニ シンサ】として靖国は固有名詞そのまま、神社は韓国語読みになってる。神社は(日帝時代を除いて)韓国にはないし、概念の存在しないものをどう韓国語で伝えるかという難しさ。미타마【ミタマ】とか하시라【ハシラ】とか日本語そのまま使えってのも無茶だし(絶対やらないと思う)、そんな中、実は韓国語の위패【ウィペェ・位牌】ってのは結構的確な訳語だったりする。


手元にある民衆書林の『엣센스韓日辞典』で위패【ウィペェ・位牌】は

 위패【位牌】  位牌;御霊代
  例文として 선조의 ~를 모시다  先祖の位牌を祭る


위패そのままの漢字表記、また위패の指し示す具体的なモノに「位牌」という訳語を充て、
위패の持つ抽象的な概念に「御霊代」という訳語を充ててる。
別に辞書が常に、また100%正しいってことはないんだけど、でも位牌の訳語一つとっても辞書を作るってのは簡単なことじゃないことが窺い知れる。
この辞書の編者の苦心を認めるなら、韓国語で「위패【位牌】を返せ」は全然アリかな。

ついでに小さな辞書で申し訳ないんですが、韓国の国語辞典(韓韓辞典?)の『国語辞典』東亜メイト第2版で위패【位牌】を引くと(訳します)、

 위패【位牌】 [寺や檀、廟、院に祭る] 神主(シンシュ;死人)の名前を記した木牌。木主。位版。

(廟【묘ミョ;墓と同音】も墓と訳し間違えられそうな気がする)

死者の名前を記した木牌。そんで、韓国(というより漢字文化圏)で位牌ってのは別に寺にしかないもんでもないと。靖国の名簿をかなり的確に言い得てると思うんだけどなぁ。位牌はあるけど神社のない韓国(人)に対して「神社に位牌はねーよ。寺にあるんだよ」と言っても、井の中の蛙大海を知らずってやつで、上の「位牌なんてね~よ」のサイトでもご丁寧にgooの辞書を引用してくれてるように、本来(日本でも)位牌はお寺さんの発明品でも専売特許でもなかったし、今もそう。
つまり日本語「御霊?」→韓国語「位牌【위패】」まではまあよかったんだけど、韓国語「位牌【위패】」→日本語「位牌」段階での誤解なんだと思う。
この辺が漢字文化圏特有の翻訳の難しさの三つ目。


結局「位牌を返せ」って叫びは「名簿から名前を消せ」という単なる物質的な要求ではなくて、「魂(御霊代でもOK)を返せ」っていう宗教的な要求であって(その意味で「(物質的に)あるのは名簿だよ」って反応もずれてる)、そこは靖国神社の方も応えるべきだと思う。名簿掲載ミスだけではなくて。
だって、自分の信じない宗教団体の名簿に勝手に自分や家族や先祖の名前が書かれて祀られるのなんて想像するだけで背筋がぞっとするもの。本当に。そんなことされたら絶対、内容証明送りつけてやるし。
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by gongduck | 2006-07-27 15:01 | ことば

憲法諦観

過去した約束を守れない者が、新たにする約束なら守れるのだろうか。

過去した約束を誤魔化す者が、新しい約束なら誤魔化したりはしないのだろうか。

過去した約束を尊重できない者が、新しい約束なら尊重できるのだろうか。


欺かれてきた約束は、新たに約束されれば尊重されるのだろうか。



約束は約束でしかなくて、守る守らないは約束する人間の素質のこと。
約束が新しく変わっても、約束した人間が変わったわけじゃない。
日本人にとっての憲法なんてそんなもん。
それほど忠実になるものではなかったし、新しくしたってそれは同じこと。
そういう国民性。
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by gongduck | 2006-07-10 23:00 | 韓国のこと日本のこと

ナルニア

もう一週間も前のこと。先行オールナイトで観てきました。

実は、密かに児童文学趣味だったりする。
指輪物語は小学生で読んだ。ナルニアも似たような時期に読んだと思う。
どっぷりと浸かれた指輪と違って、ナルニアは一作ごとに微妙に世界観が変わって話に浸りにくかったのを覚えてる。
映画化されると聞いて、正月帰省したときに3冊ほど読み返してみた。
すると、何かつまらないんだよな。あれ?と思うくらい。

トールキンの伝記に確かこんな話があった。
トールキン、C.S.ルイス共にオックスフォードの教員で仲もよかったが、後に作品の品評か何かが元で仲違いしたという話。
当時はさっぱりだったけど、今は何となくこれなのかもという気がしてる。
十分に指輪も二元論だけど。。。


さて、映画ナルニア国物語の話。

聖書的世界、価値観を対象にした批判はよく聞く。僕もなんかなぁとは思った。
石舞台に刻まれ、アスランに働いた世界の原則(契約)なんて、頭では分かっててもその世界には浸かれない。多分、ここが聖書的と言われてるのかな。
世界には、はっきりと善の側と悪の側があって(エドマンドの振れはあるけれど)、両者が戦う理由なんて二元論世界の宿命みたいなもん。こちらが善(悪)で、あっちが悪(善)だから戦いになる。それでいいんかな。

ま、いいか。
でも、本当にこのまま7作全部やるつもりなのかな?


もう一つ。
冬の魔女との戦いに勝利し、結局兄妹4人が王座に就く。
(物語の初めにエドマンドが、魔女に王位を餌にそそのかされる場面もある。)
そんで、王位に就く4人の嬉しそうな顔。(もしくは魔女にそそのかされるエドマンド。)

そんなに嬉しいもんなのか? 王様になりたいもんなのか?

自由志向なんか、権力志向なんか。。。


分からん。。。
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by gongduck | 2006-03-04 21:37 | 文化的生活

いただきます

毎日新聞で「いただきます」を巡って面白い話があった。

学生食堂でにしろ、定食屋でにしろ、「いただきます。」と声に出さないまでも。
未だに食べる前に手を合わせる癖がある。
ごちそうさまはしたり、しなかったり。。。

韓国語にも「いただきます」「ごちそうさま」に当たる言葉がある。
잘 먹겠습니다【チャル モッケッスムニダ】  
잘 먹었습니다【チャル モゴッスムニダ】 
がそれに当たる。

「チャル モッケッスムニダ(いただきます)」を直訳すれば意思未来形としての「よく食べます」の意で、
一方、「チャル モゴッスムニダ(ごちそうさま)」を直訳すれば過去形の「よく食べました」の意になる。
しかしどうも、「いただきます」と「チャル モッケッスムニダ」を単純にイコールとはできない。


韓国で下宿生活してたときのこと。
朝晩2食付きの下宿で、入れ替わり立ち代り学生たちが食べて行く。
そんな中で、僕が手を合せて「チャルモッケスムニダ」とやってると、「お前はクリスチャンなのか?日本人には少ないんじゃないのか。」みたいなことを聞かれた。
そう言えば、韓国人は「いただきます」を言ったり、言わなかったりする。もちろん言っても手を合わせたりはしない。手を合わせるというか、クリスチャンの子で手を握って目を瞑ってお祈りしてるのはいる。結構多い。
「キリスト教徒じゃないけど、日本じゃこうするんだ。家でも、学校でもそう教わる。」みたいなことを答えておいた。
結構愛想よくて礼儀正しい子でも「いただきます」を言ったり言わなかったりするから、「誰にいただきます言ってるんだ?」てことを詰めて聞いてみると、案の定「多分、作ってるアジュンマ。作ってくれたアジュンマがその場にいなければいただきますは言わないような気がする。」とのこと。

答えがどうもはっきりしないのは、考えれば僕だって「いただきます」言っても誰かしらに言ってる意識がないのと同じ。はっきり言って習慣で言ってるだけだけど、強いて考えればこの料理を作ってくれた人(その場にいなくても)、そのお米・野菜・家畜を育ててくれた農家さん、流通に関わる人、まあ天土にも感謝するかな。(正直、お命頂きますの念は探したけど出てこなかった。)これって実は信仰なのかもしれない。
韓国人の「チャルモッケスムニダ」の対象は(その場にいる)作ってくれた人って点で、やっぱり僕の「いただきます」とは違う。でも「いただきます」の対象は、クリスチャンのお祈りの対象とも違う気がする。(テレビドラマ『大草原の小さな家』で観たインガルス家の食卓のイメージ。あれって料理した人、育てた人、自然その他の雑多なものじゃなくて唯一神そのものへの感謝だと思う。)

別に、だから韓国人は・・・云々。日本人の感性は素晴らしい。なんて排他的な話にするつもりは全くない。実際、毎日新聞の記事のように給食で「いただきます」を言う必要はないと考える日本人もいるわけで、何か寂しい気もしないこともないけど、その場にいないものへの感謝の念はやっぱり個人の信仰に属するものだと思う。
僕がここで興味深く思うのは、僕個人の(もしくは言うのが当然だと考える人の)「いただきます」の感謝の念が、どこでどのように生まれれた(もしくは教わった?植えつけられた?)のかということ。実は本人には教わった記憶がいまいちない。両親が言ってたような気もするし、小学校一年生のときに、最初の給食の時間に先生が言ってたような(現に今言ってるような)イメージがないこともない。
やっぱ教育なんだろうな。教育だと気付かせないくらいの教育。その結果「いただきます」言うのが当たり前、当然だと思ってた自分がいる。感謝の念自体はいい。「いただきます」の感性は好き。でもそれが作られたものであることを自覚しない分、言わない人のことを簡単に否定してしまう自分がいる。そこが気になった。
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by gongduck | 2006-02-16 17:23 | ことば

女性天皇問題と雅子妃のこと

韓国の調査地でいつも泊まるホテルのオーナー(女性)と結婚の話になった。
30歳を越える娘さん(カナダ在住)を持つオーナーはやっぱり娘さんの結婚を気にしてた。
別に国籍は問わないらしく、いい人紹介してちょうだいなというお話。
そういった流れの中で、そう言えば日本の公主がこの前結婚したねって話になった。

その公主は世界の公主の中でも一番、얼굴이 못생긴 人らしいけど、
よく見るととってもいい顔をされてるね。というお話。
チュインニム。とっても辛口っす。

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by gongduck | 2005-11-17 00:54 | 韓国のこと日本のこと

落ち着かない京都

学校の周辺、要は御所の周辺がやたらと騒がしいわけで、
別に疚しいことはないのだけど、警官の前では妙にぎこちなくなってしまう私。
今回、車が足立区ナンバーだったり、いつもより装備品が多そうだったり、
つい目が行ってしまうのだけど、そんな興味津々に見つめていいものやら、
かと言って自然に目を逸らすというのも結構むずかしい。

鍵が壊れたまま自転車に乗ってた時は、よくおまわりさんに停められた。
一応僕を怪しいと踏んだから停めて無線確認までしたんだろうけど、
私としては、そういう目で見られてたってのは決して気持ちのいいものじゃない。
はじめは、それ見たことかと食って掛かりたい気にもなったけれど、
人を疑ってかかることが仕事なんて、考えると可哀そうな商売でもある。

そんなわけで、さっさとお帰りくださいブッシュさん。
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by gongduck | 2005-11-16 18:51 | 日々のこと

伝統

伝統という言葉。
最近、なんだか熱い言葉ではある。
しかし、いまいち実態のない言葉でもある。

 普段、比較的古い時代のことを考えてるからかもしれないが、何かが語られている場で、そこで伝統という言葉が聞こえたとき、つい耳に引っ掛かって立ち止まってしまうことが最近増えている。伝統という言葉、考えてみると怪しくて仕方ない言葉なのだ。こうなるともう、伝統を口にする輩は、最初から疑ってかかっていいくらいに。

 皇室典範会議とやらが女性・女系天皇容認で一致したそうだ。そんな記事を見た。正確にはそんな記事を引いてるblog記事を見た。関心のない人間には、特にこれといった抵抗のない記事なのだが、ここで伝統という言葉が燦々と登場する。

 万世一系とされる皇室は、ところどころ女帝も存在するもそれは中継ぎ的女帝にすぎず、ずっと皇位は男系によって継承されてきた。という伝統があるとのこと。
(ここでは継体天皇(26代)のことは触れずにいよう)

 伝統という言葉が出てきたところで、少し立ち止まって考えてみよう。
ここで言われる伝統とは、正確に言えば男系皇位継承の原則である。かならずしも女帝という可能性は除外されないことの注意したい。その伝統に従えば、愛子皇太孫自身は徳仁親王という皇族を父に持つことで取り合えずは問題から除外される。問題とされるのは、将来、民間人の夫?婿?を迎えた際の愛子天皇の皇子の扱いである。その子は女(母)系は皇族なのだが、男(父)系では民間人に堕してしまう
男系継承という伝統をキーに正確に読み解くならばこんなところだろう。

 気付かねばならないのは、愛子天皇という女性天皇そのものは、男系継承という伝統に反するものではないということである。本当に男系継承の伝統を危うくしているのは、皇位継承者と民間人の婚姻なのである。伝統に忠実にあろうとすれば、愛子現皇太孫と民間人の婚姻が問題なのであって、将来の愛子女性天皇が伝統に反するのでは決してない。そして、この伝統(に反するというより)を危うくする皇位継承者と民間人の婚姻形態は(一夫一婦制も含めて)、明仁親王(現天皇)と美智子さんの婚姻に端を発している。
 考えてみると男系継承という伝統は、女性天皇の可能性を否定する根拠にはなり得ない。男系継承という伝統を根拠に物を言うのなら、まず(一夫一婦制も含めた)明仁親王と美智子さんの婚姻を批判しなければならない。
 ちなみに僕は女性天皇も否定しないし、男系継承にも拘らない立場である。だから今回、妙な伝統なんて言葉を振りかざしたりもしない。そんで、政治家にしろ学者にしろ、一々何とか会議とかやってないで、どうして家族のことはその家族で決められないのかと疑問に思う。さすがに個人の問題とまでは言わないけれど、家族でもない他人が容認したりしなかったり、伝統だなんだ言うのも憚れるなぁと書いてしまってから感じている。


追加
 最近、靖国を伝統という言葉で語ってみたり、専業主婦のいる家庭を日本の伝統的家庭形態と呼ぶ声が聞こえてきたりする。これはどのくらい古ければ、またはどのくらい持続すれば伝統と呼んでいいのかという問題なのだけど、これも一度考え直してみていい伝統だったりする。
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by gongduck | 2005-10-28 21:17 | ことば

介護等体験

先週一週間、社会福祉施設で実習してきました。
高校の専修免許は持っているものの
法律が変わってしまって中学の免許を取ろうとすると、
実習の行きなおしや、単位の取り直しに
今回の介護等体験という実習が付いている。

知的障害者のための授産施設とデイサービス施設を併設するところに通ったのだけど、
二人いた実習生のうち、僕はデイサービスの方にまわった。

苑外活動もほぼ毎日あったけれど、やっぱりどこかで外界と隔離されているようにも感じる。
逆に見れば、まだまだ一般人の視界に障害者が存在していないとことでもある。
施設や職員さんには迷惑だろうけど、
特に知的障害者に触れる、その存在を知るという一点だけでも
この実習制度は将来、何らかの意味を持ってくれるかもしれない。

日頃の不摂生がたたり身体的にはしんどかったのものの、
利用者の皆さんには元気をもらった。
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by gongduck | 2005-10-11 16:15 | 日々のこと