かりんとうblog

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位牌 위패

前々から気になっていたこと。

「A級戦犯の位牌がまつられている靖国神社」(朝鮮日報日本語記事)

それに対する「靖国神社に位牌なんてね~よ」って反応(例えばこちらとかこちら)。


ここには二重、もしかすると三重の翻訳の難しさ、危うさがある。
さらに日中韓の三国の場合、なまじ漢字文化圏にあるから、便利な面もある代わりに誤解を招き易い面もある。
靖国を巡るネタの場合、まず日本(語)のニュースを韓国(語)で伝えるという翻訳の第一段階があり、そんで上の朝鮮日報記事は、韓国語記事をさら日本語に翻訳したもの。翻訳の第二段階。

まず靖国神社をどう韓国語で伝えるかなんだけど、一応そこには遺骨や「位牌」はなくて、単に名簿があるだけだということは伝えられているみたい。(→この記事
んじゃ、例えば靖国に祀られた韓国人軍属を祀らないで(分祀?して)欲しいとき、「位牌を返せ」ではなくて、「名簿を返せ(名簿から名前を消せ)」と言えばいいのだろうか。どっちにしろ神社側は「一旦合祀した御霊は分祀できない」と言うと思うけど。。。

う~ん。何か話かみ合ってないな。
多分、神社側としては名簿を祀ってるとは言わないと思う。事象としてそうなんだけど、「名簿」は宗教的じゃない。だから単に名簿に名前を書き加える行為であっても、絶対に「名簿に書く」なんて表現はしないし、代わりにそれを合祀という言葉で言う。
分祀をして欲しい韓国人軍属の家族も、事象としては名簿から名前を消せということなんだけど、靖国神社みたく宗教的に表現すれば「位牌を返せ」ということになるのではないかな。

何か話がずれて行ってる。。。
靖国を韓国(語)でどう伝えるか?
名称は一応、야수쿠니 신사【ヤスクニ シンサ】として靖国は固有名詞そのまま、神社は韓国語読みになってる。神社は(日帝時代を除いて)韓国にはないし、概念の存在しないものをどう韓国語で伝えるかという難しさ。미타마【ミタマ】とか하시라【ハシラ】とか日本語そのまま使えってのも無茶だし(絶対やらないと思う)、そんな中、実は韓国語の위패【ウィペェ・位牌】ってのは結構的確な訳語だったりする。


手元にある民衆書林の『엣센스韓日辞典』で위패【ウィペェ・位牌】は

 위패【位牌】  位牌;御霊代
  例文として 선조의 ~를 모시다  先祖の位牌を祭る


위패そのままの漢字表記、また위패の指し示す具体的なモノに「位牌」という訳語を充て、
위패の持つ抽象的な概念に「御霊代」という訳語を充ててる。
別に辞書が常に、また100%正しいってことはないんだけど、でも位牌の訳語一つとっても辞書を作るってのは簡単なことじゃないことが窺い知れる。
この辞書の編者の苦心を認めるなら、韓国語で「위패【位牌】を返せ」は全然アリかな。

ついでに小さな辞書で申し訳ないんですが、韓国の国語辞典(韓韓辞典?)の『国語辞典』東亜メイト第2版で위패【位牌】を引くと(訳します)、

 위패【位牌】 [寺や檀、廟、院に祭る] 神主(シンシュ;死人)の名前を記した木牌。木主。位版。

(廟【묘ミョ;墓と同音】も墓と訳し間違えられそうな気がする)

死者の名前を記した木牌。そんで、韓国(というより漢字文化圏)で位牌ってのは別に寺にしかないもんでもないと。靖国の名簿をかなり的確に言い得てると思うんだけどなぁ。位牌はあるけど神社のない韓国(人)に対して「神社に位牌はねーよ。寺にあるんだよ」と言っても、井の中の蛙大海を知らずってやつで、上の「位牌なんてね~よ」のサイトでもご丁寧にgooの辞書を引用してくれてるように、本来(日本でも)位牌はお寺さんの発明品でも専売特許でもなかったし、今もそう。
つまり日本語「御霊?」→韓国語「位牌【위패】」まではまあよかったんだけど、韓国語「位牌【위패】」→日本語「位牌」段階での誤解なんだと思う。
この辺が漢字文化圏特有の翻訳の難しさの三つ目。


結局「位牌を返せ」って叫びは「名簿から名前を消せ」という単なる物質的な要求ではなくて、「魂(御霊代でもOK)を返せ」っていう宗教的な要求であって(その意味で「(物質的に)あるのは名簿だよ」って反応もずれてる)、そこは靖国神社の方も応えるべきだと思う。名簿掲載ミスだけではなくて。
だって、自分の信じない宗教団体の名簿に勝手に自分や家族や先祖の名前が書かれて祀られるのなんて想像するだけで背筋がぞっとするもの。本当に。そんなことされたら絶対、内容証明送りつけてやるし。
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by gongduck | 2006-07-27 15:01 | ことば

宵宵 

今年もべたに長刀鉾

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by gongduck | 2006-07-16 00:10 | 京都のこと

憲法諦観

過去した約束を守れない者が、新たにする約束なら守れるのだろうか。

過去した約束を誤魔化す者が、新しい約束なら誤魔化したりはしないのだろうか。

過去した約束を尊重できない者が、新しい約束なら尊重できるのだろうか。


欺かれてきた約束は、新たに約束されれば尊重されるのだろうか。



約束は約束でしかなくて、守る守らないは約束する人間の素質のこと。
約束が新しく変わっても、約束した人間が変わったわけじゃない。
日本人にとっての憲法なんてそんなもん。
それほど忠実になるものではなかったし、新しくしたってそれは同じこと。
そういう国民性。
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by gongduck | 2006-07-10 23:00 | 韓国のこと日本のこと