かりんとうblog

カテゴリ:ことば( 9 )

位牌 위패

前々から気になっていたこと。

「A級戦犯の位牌がまつられている靖国神社」(朝鮮日報日本語記事)

それに対する「靖国神社に位牌なんてね~よ」って反応(例えばこちらとかこちら)。


ここには二重、もしかすると三重の翻訳の難しさ、危うさがある。
さらに日中韓の三国の場合、なまじ漢字文化圏にあるから、便利な面もある代わりに誤解を招き易い面もある。
靖国を巡るネタの場合、まず日本(語)のニュースを韓国(語)で伝えるという翻訳の第一段階があり、そんで上の朝鮮日報記事は、韓国語記事をさら日本語に翻訳したもの。翻訳の第二段階。

まず靖国神社をどう韓国語で伝えるかなんだけど、一応そこには遺骨や「位牌」はなくて、単に名簿があるだけだということは伝えられているみたい。(→この記事
んじゃ、例えば靖国に祀られた韓国人軍属を祀らないで(分祀?して)欲しいとき、「位牌を返せ」ではなくて、「名簿を返せ(名簿から名前を消せ)」と言えばいいのだろうか。どっちにしろ神社側は「一旦合祀した御霊は分祀できない」と言うと思うけど。。。

う~ん。何か話かみ合ってないな。
多分、神社側としては名簿を祀ってるとは言わないと思う。事象としてそうなんだけど、「名簿」は宗教的じゃない。だから単に名簿に名前を書き加える行為であっても、絶対に「名簿に書く」なんて表現はしないし、代わりにそれを合祀という言葉で言う。
分祀をして欲しい韓国人軍属の家族も、事象としては名簿から名前を消せということなんだけど、靖国神社みたく宗教的に表現すれば「位牌を返せ」ということになるのではないかな。

何か話がずれて行ってる。。。
靖国を韓国(語)でどう伝えるか?
名称は一応、야수쿠니 신사【ヤスクニ シンサ】として靖国は固有名詞そのまま、神社は韓国語読みになってる。神社は(日帝時代を除いて)韓国にはないし、概念の存在しないものをどう韓国語で伝えるかという難しさ。미타마【ミタマ】とか하시라【ハシラ】とか日本語そのまま使えってのも無茶だし(絶対やらないと思う)、そんな中、実は韓国語の위패【ウィペェ・位牌】ってのは結構的確な訳語だったりする。


手元にある民衆書林の『엣센스韓日辞典』で위패【ウィペェ・位牌】は

 위패【位牌】  位牌;御霊代
  例文として 선조의 ~를 모시다  先祖の位牌を祭る


위패そのままの漢字表記、また위패の指し示す具体的なモノに「位牌」という訳語を充て、
위패の持つ抽象的な概念に「御霊代」という訳語を充ててる。
別に辞書が常に、また100%正しいってことはないんだけど、でも位牌の訳語一つとっても辞書を作るってのは簡単なことじゃないことが窺い知れる。
この辞書の編者の苦心を認めるなら、韓国語で「위패【位牌】を返せ」は全然アリかな。

ついでに小さな辞書で申し訳ないんですが、韓国の国語辞典(韓韓辞典?)の『国語辞典』東亜メイト第2版で위패【位牌】を引くと(訳します)、

 위패【位牌】 [寺や檀、廟、院に祭る] 神主(シンシュ;死人)の名前を記した木牌。木主。位版。

(廟【묘ミョ;墓と同音】も墓と訳し間違えられそうな気がする)

死者の名前を記した木牌。そんで、韓国(というより漢字文化圏)で位牌ってのは別に寺にしかないもんでもないと。靖国の名簿をかなり的確に言い得てると思うんだけどなぁ。位牌はあるけど神社のない韓国(人)に対して「神社に位牌はねーよ。寺にあるんだよ」と言っても、井の中の蛙大海を知らずってやつで、上の「位牌なんてね~よ」のサイトでもご丁寧にgooの辞書を引用してくれてるように、本来(日本でも)位牌はお寺さんの発明品でも専売特許でもなかったし、今もそう。
つまり日本語「御霊?」→韓国語「位牌【위패】」まではまあよかったんだけど、韓国語「位牌【위패】」→日本語「位牌」段階での誤解なんだと思う。
この辺が漢字文化圏特有の翻訳の難しさの三つ目。


結局「位牌を返せ」って叫びは「名簿から名前を消せ」という単なる物質的な要求ではなくて、「魂(御霊代でもOK)を返せ」っていう宗教的な要求であって(その意味で「(物質的に)あるのは名簿だよ」って反応もずれてる)、そこは靖国神社の方も応えるべきだと思う。名簿掲載ミスだけではなくて。
だって、自分の信じない宗教団体の名簿に勝手に自分や家族や先祖の名前が書かれて祀られるのなんて想像するだけで背筋がぞっとするもの。本当に。そんなことされたら絶対、内容証明送りつけてやるし。
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by gongduck | 2006-07-27 15:01 | ことば

いただきます

毎日新聞で「いただきます」を巡って面白い話があった。

学生食堂でにしろ、定食屋でにしろ、「いただきます。」と声に出さないまでも。
未だに食べる前に手を合わせる癖がある。
ごちそうさまはしたり、しなかったり。。。

韓国語にも「いただきます」「ごちそうさま」に当たる言葉がある。
잘 먹겠습니다【チャル モッケッスムニダ】  
잘 먹었습니다【チャル モゴッスムニダ】 
がそれに当たる。

「チャル モッケッスムニダ(いただきます)」を直訳すれば意思未来形としての「よく食べます」の意で、
一方、「チャル モゴッスムニダ(ごちそうさま)」を直訳すれば過去形の「よく食べました」の意になる。
しかしどうも、「いただきます」と「チャル モッケッスムニダ」を単純にイコールとはできない。


韓国で下宿生活してたときのこと。
朝晩2食付きの下宿で、入れ替わり立ち代り学生たちが食べて行く。
そんな中で、僕が手を合せて「チャルモッケスムニダ」とやってると、「お前はクリスチャンなのか?日本人には少ないんじゃないのか。」みたいなことを聞かれた。
そう言えば、韓国人は「いただきます」を言ったり、言わなかったりする。もちろん言っても手を合わせたりはしない。手を合わせるというか、クリスチャンの子で手を握って目を瞑ってお祈りしてるのはいる。結構多い。
「キリスト教徒じゃないけど、日本じゃこうするんだ。家でも、学校でもそう教わる。」みたいなことを答えておいた。
結構愛想よくて礼儀正しい子でも「いただきます」を言ったり言わなかったりするから、「誰にいただきます言ってるんだ?」てことを詰めて聞いてみると、案の定「多分、作ってるアジュンマ。作ってくれたアジュンマがその場にいなければいただきますは言わないような気がする。」とのこと。

答えがどうもはっきりしないのは、考えれば僕だって「いただきます」言っても誰かしらに言ってる意識がないのと同じ。はっきり言って習慣で言ってるだけだけど、強いて考えればこの料理を作ってくれた人(その場にいなくても)、そのお米・野菜・家畜を育ててくれた農家さん、流通に関わる人、まあ天土にも感謝するかな。(正直、お命頂きますの念は探したけど出てこなかった。)これって実は信仰なのかもしれない。
韓国人の「チャルモッケスムニダ」の対象は(その場にいる)作ってくれた人って点で、やっぱり僕の「いただきます」とは違う。でも「いただきます」の対象は、クリスチャンのお祈りの対象とも違う気がする。(テレビドラマ『大草原の小さな家』で観たインガルス家の食卓のイメージ。あれって料理した人、育てた人、自然その他の雑多なものじゃなくて唯一神そのものへの感謝だと思う。)

別に、だから韓国人は・・・云々。日本人の感性は素晴らしい。なんて排他的な話にするつもりは全くない。実際、毎日新聞の記事のように給食で「いただきます」を言う必要はないと考える日本人もいるわけで、何か寂しい気もしないこともないけど、その場にいないものへの感謝の念はやっぱり個人の信仰に属するものだと思う。
僕がここで興味深く思うのは、僕個人の(もしくは言うのが当然だと考える人の)「いただきます」の感謝の念が、どこでどのように生まれれた(もしくは教わった?植えつけられた?)のかということ。実は本人には教わった記憶がいまいちない。両親が言ってたような気もするし、小学校一年生のときに、最初の給食の時間に先生が言ってたような(現に今言ってるような)イメージがないこともない。
やっぱ教育なんだろうな。教育だと気付かせないくらいの教育。その結果「いただきます」言うのが当たり前、当然だと思ってた自分がいる。感謝の念自体はいい。「いただきます」の感性は好き。でもそれが作られたものであることを自覚しない分、言わない人のことを簡単に否定してしまう自分がいる。そこが気になった。
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by gongduck | 2006-02-16 17:23 | ことば

伝統

伝統という言葉。
最近、なんだか熱い言葉ではある。
しかし、いまいち実態のない言葉でもある。

 普段、比較的古い時代のことを考えてるからかもしれないが、何かが語られている場で、そこで伝統という言葉が聞こえたとき、つい耳に引っ掛かって立ち止まってしまうことが最近増えている。伝統という言葉、考えてみると怪しくて仕方ない言葉なのだ。こうなるともう、伝統を口にする輩は、最初から疑ってかかっていいくらいに。

 皇室典範会議とやらが女性・女系天皇容認で一致したそうだ。そんな記事を見た。正確にはそんな記事を引いてるblog記事を見た。関心のない人間には、特にこれといった抵抗のない記事なのだが、ここで伝統という言葉が燦々と登場する。

 万世一系とされる皇室は、ところどころ女帝も存在するもそれは中継ぎ的女帝にすぎず、ずっと皇位は男系によって継承されてきた。という伝統があるとのこと。
(ここでは継体天皇(26代)のことは触れずにいよう)

 伝統という言葉が出てきたところで、少し立ち止まって考えてみよう。
ここで言われる伝統とは、正確に言えば男系皇位継承の原則である。かならずしも女帝という可能性は除外されないことの注意したい。その伝統に従えば、愛子皇太孫自身は徳仁親王という皇族を父に持つことで取り合えずは問題から除外される。問題とされるのは、将来、民間人の夫?婿?を迎えた際の愛子天皇の皇子の扱いである。その子は女(母)系は皇族なのだが、男(父)系では民間人に堕してしまう
男系継承という伝統をキーに正確に読み解くならばこんなところだろう。

 気付かねばならないのは、愛子天皇という女性天皇そのものは、男系継承という伝統に反するものではないということである。本当に男系継承の伝統を危うくしているのは、皇位継承者と民間人の婚姻なのである。伝統に忠実にあろうとすれば、愛子現皇太孫と民間人の婚姻が問題なのであって、将来の愛子女性天皇が伝統に反するのでは決してない。そして、この伝統(に反するというより)を危うくする皇位継承者と民間人の婚姻形態は(一夫一婦制も含めて)、明仁親王(現天皇)と美智子さんの婚姻に端を発している。
 考えてみると男系継承という伝統は、女性天皇の可能性を否定する根拠にはなり得ない。男系継承という伝統を根拠に物を言うのなら、まず(一夫一婦制も含めた)明仁親王と美智子さんの婚姻を批判しなければならない。
 ちなみに僕は女性天皇も否定しないし、男系継承にも拘らない立場である。だから今回、妙な伝統なんて言葉を振りかざしたりもしない。そんで、政治家にしろ学者にしろ、一々何とか会議とかやってないで、どうして家族のことはその家族で決められないのかと疑問に思う。さすがに個人の問題とまでは言わないけれど、家族でもない他人が容認したりしなかったり、伝統だなんだ言うのも憚れるなぁと書いてしまってから感じている。


追加
 最近、靖国を伝統という言葉で語ってみたり、専業主婦のいる家庭を日本の伝統的家庭形態と呼ぶ声が聞こえてきたりする。これはどのくらい古ければ、またはどのくらい持続すれば伝統と呼んでいいのかという問題なのだけど、これも一度考え直してみていい伝統だったりする。
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by gongduck | 2005-10-28 21:17 | ことば

おおぉ~つか びよぉ~お けぇいせぇいげかぁ~



深夜テレビのCMでやってるあれである。
やたら色艶のいいおっさんが、「イエス! タ○スクリニック」と言ってるやつじゃない方。
子猫とかが出てきて、「ねえぇ 何て すてぇ~きなぁ 」ってやってる方。 

もう5年ほど前になるが、このCMの歌詞が少しだけ変わったのをご存知だろうか?

現在のバージョンでは
「あいつの彼女は 大塚娘 あぁ なんて すてぇ~きなぁ おおぉつっか むすめ~」

とやってる「大塚娘」の部分は5年前まで
「あいつの彼女は 大塚美人 あぁ なんてすてぇ~きなぁ おおぉつっか びっじっん~」
と「大塚美人」だった。

CMの作りは変わらない。
曲も変わらない。
ただ「大塚美人」の歌詞だけが「大塚娘」に変わった。
この小さな部分が気になって仕方なかった。

ただの美人ではなくて、大塚美人......

市民権を得た言葉ではなかったけれど、
そうなることを怖れて変えたのかななんて思ったのを覚えてる。
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by gongduck | 2005-08-06 23:01 | ことば

見習っていただきたいものです。


~していただく。というのは非常に丁寧な言葉遣いではある。


だけど、自分の立ち位置に対してあまりにも無自覚なワイドショー的物言い。


自分を見習えというのでもない。
大体からして、自分を見習えなんて余程厚かましい人でないと言えるもんじゃない。
しかし、見習われる対象が第三者になったとき、
人はいとも簡単に、見習っていただきたい。と言えてしまう。

見習う者、見習われる者の関係があり、その二者と関係しないところに身を置いたとき
人はいとも簡単に、見習っていただきたい。と言えてしまう。


関係しないところとはどこだろう。
見習っていただきたい。と口にする僕は一体どこに立っているのだろう。
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by gongduck | 2005-04-20 23:02 | ことば

遺憾 유감

遺憾という言葉 韓国語では유감という言葉が使われている。
個人的には使わない。今のところ使う予定もない言葉だけど、
世間では耳にすることもある。

韓国で高校の日本語授業の手伝いに行ってたとき、生徒から質問された言葉。
日本語の政治家が過去の歴史に対して
遺憾という言葉を使ってるあれは、謝罪してるのか してないのか。

困った。。。。。
多分謝ってるんじゃないかとは答えた。

金泳三がベトナムと国交正常化するときに
過去、韓国がベトナムに対してしたことを유감に思うと発言してたけど、
韓国語であれは謝罪なのかと尋ねてみた。

多分、謝罪ではないとの答え。

まぁ、韓国とベトナム関係についての知識がなくて、
ベトナムに対して謝罪するという感覚自体がなかったからかもしれない。

それに元は同じ言葉でも、同じ漢字を使ってても、
国、土地によって語感は変わってく。
その後、韓国人にも、日本人にも色んな人に聞いてみた。

韓国人ははっきりと謝罪ではないと。
日本人は謝罪派が多数で、そうではない派もいる。

僕が持ってる韓国語辞典には
마음에 남이있는 섭섭한 느낌. 언짢은 마음.
(心に残っている恨めしい、名残惜しい、残念な感じ。気に入らない、不快な気持ち)
ちとうまく訳せませぬ。
一応、広辞苑的には
思い通りにいかず心残りなこと、残念なこと。残念。気の毒。
とある。

どうも謝罪ではないですな。
相手に対して云々よりも、まず自分の心の状態を表す言葉らしい。

世間での使われ方を思い出すと、
謝罪すべきところなんだろうけど、立場的に潔く過ちを認められない、
謝罪できない立場の人らが使ってる気もしてきた。
非はこっちにあるんだろうけど、立場上どうしてもここまでしか言えないよ。
という言葉なのかもしれない。

でも傍から見てて明らかに非のある政治家や企業家や偉い人たちが
使ってるので、親切にも聞いてる側は、

あぁ、謝ってるのね。   と、遺憾という言葉を受け取る。

でも、言葉は変化していくもの。意味も解釈も。
そのうち、正式に謝ってることになるんじゃないかと、
いや、もうなってるんじゃないかと。。。


混乱してきました。

後は使ったことのある本人に聞かないとです。
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by gongduck | 2005-02-04 21:40 | ことば

栞 ― 格別なご配慮を

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古本屋で買った小説の中に挟まってた栞。。。

やたらときれいで
読まれた気配のない文庫本

想像するに
新潮文庫が書評家の誰それかに
この本を無料で渡し
よかったら書評を書いてくださいと。。。

でも今回その書評は書かれなかった

もしかしたら小説自体読まれずに書かれたのかも。。。
って、そしたらこの本はこの書評書いた人が売り払った???

そんで、古本屋を経て僕の手元に

                  妄想でした


普通の挨拶なんだろうけど
少しがっかりするところもある

書評ってこんな感じで書かれてるのかな
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by gongduck | 2005-02-03 11:25 | ことば

むかつく

地方都市で育ったから、今日の使われ方でのこの言葉に
初めて接したのは中学生の頃かな。

僕には使えない言葉だった。

そのはずなのに、いつの頃からか時折使っている自分がいた。


最近、妙に日本語の出来る韓国人の友人がこの言葉を使うのを耳にして、
久し振りに昔の感覚を思い出した。

その友人は、そして僕は本当にむかついているのだろうか。

本来は感情ではなく、身体の状態を表わす言葉。
例えばお酒を飲みすぎて、あるいは大きすぎるストレスがかかったときのように、
僕は誰かにむかついているのだろうか。

誰かという存在は、本当に僕をむかつかせているのだろうか。

僕も誰かをむかつかせているのだろうか。


残酷な言葉だ。
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by gongduck | 2004-11-10 10:58 | ことば

  힘들어~


 「ヒムドゥロ~」


 「疲れた~」 「キツイ~」

というのも少し違う。
まさしく関西弁で

  「しんど~」

  ぴったりです。

どうしても日本語にはできない韓国語が多々ある。
今の感じを韓国語なら言えるのに
日本語でどう言っていいか分からないときがある。
もちろん逆もまた同じこと。

実は外国人(この場合日本語学習者)に
日本語の語感を伝えるのが得意だったりする。
例えば

  「けったい」

僕の感覚が正しいのかは知らないけど。
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by gongduck | 2004-11-05 20:34 | ことば