かりんとうblog

カテゴリ:文化的生活( 6 )

地引網しました

小さい頃は、普通にタツノオトシゴなんかもいたんだけどな

魚は入らないだろうと、漁協の生簀からタコ、カニ、キャーメを購入し、最初から網の中に...

b0054886_122157.jpg


用意していた2馬力の船外機が動かず...

More
[PR]
by gongduck | 2012-08-29 12:27 | 文化的生活

ナルニア

もう一週間も前のこと。先行オールナイトで観てきました。

実は、密かに児童文学趣味だったりする。
指輪物語は小学生で読んだ。ナルニアも似たような時期に読んだと思う。
どっぷりと浸かれた指輪と違って、ナルニアは一作ごとに微妙に世界観が変わって話に浸りにくかったのを覚えてる。
映画化されると聞いて、正月帰省したときに3冊ほど読み返してみた。
すると、何かつまらないんだよな。あれ?と思うくらい。

トールキンの伝記に確かこんな話があった。
トールキン、C.S.ルイス共にオックスフォードの教員で仲もよかったが、後に作品の品評か何かが元で仲違いしたという話。
当時はさっぱりだったけど、今は何となくこれなのかもという気がしてる。
十分に指輪も二元論だけど。。。


さて、映画ナルニア国物語の話。

聖書的世界、価値観を対象にした批判はよく聞く。僕もなんかなぁとは思った。
石舞台に刻まれ、アスランに働いた世界の原則(契約)なんて、頭では分かっててもその世界には浸かれない。多分、ここが聖書的と言われてるのかな。
世界には、はっきりと善の側と悪の側があって(エドマンドの振れはあるけれど)、両者が戦う理由なんて二元論世界の宿命みたいなもん。こちらが善(悪)で、あっちが悪(善)だから戦いになる。それでいいんかな。

ま、いいか。
でも、本当にこのまま7作全部やるつもりなのかな?


もう一つ。
冬の魔女との戦いに勝利し、結局兄妹4人が王座に就く。
(物語の初めにエドマンドが、魔女に王位を餌にそそのかされる場面もある。)
そんで、王位に就く4人の嬉しそうな顔。(もしくは魔女にそそのかされるエドマンド。)

そんなに嬉しいもんなのか? 王様になりたいもんなのか?

自由志向なんか、権力志向なんか。。。


分からん。。。
[PR]
by gongduck | 2006-03-04 21:37 | 文化的生活

概論

概論ってのはやっぱり概論で、単位のために取る概論は、やっぱり概論だけに苦しい。

概論受講者の若さに付いていけず、
またあまりの概論さに耐えられず、
友人からの誘惑もありで、後半かなりサボってしまいました。

そしたらレポートの掲示が出てて、けれど提出日も提出場所も書いてない。
それが最終講義であることを祈って何とか書き上げました。

  『役割理論(主観と妄想)に基づくメイドカフェの社会学的考察』
  副題は少し阿って
  「‐メイドカフェで社会学してみる‐」


先週日曜、階下まで行きながら、入れず逃げ帰った言い訳です。
[PR]
by gongduck | 2006-01-15 20:27 | 文化的生活

容疑者 室井慎次


トラックバックを探してみると、皆さんいろいろでした。
室井慎二やら室井信次やら。。。
映画中に留置所を出る際、達筆で「室井慎次」とサインする場面があって、
筋とは関係なく、室井さん、いや柳葉敏郎って字きれいやなぁと感心してしまった。
だから室井慎次で正しいはず。

夜10時まで自習させられる九州の某スパルタ予備校時代。
普段、特に連ドラなんて大人しく観てられない自分が、
この日だけは早めに帰宅して観てた踊る大捜査線。
やっぱりテレビドラマの延長として観るべきなのかな。

出来については何も言わない。
ここで言おうと思うのは、八嶋智人という俳優のこと。

More
[PR]
by gongduck | 2005-09-03 18:14 | 文化的生活

エンデとパパラギと

shou20031 さんのモモに自分の生き方を考える。
よりトラックバック


今でも覚えている。
エンデが亡くなったのは僕が高校生のときだった。
身内を亡くすのとはまた違う喪失感だった。
もうこれ以上エンデが新たな世界を生み出すことはない。
もうこれ以上エンデの生み出す新たな世界に身を浸すことはできない。

同じ感覚を翌年、司馬遼太郎が亡くなったとき
大学に入って池波正太郎と藤沢周平に出会ったとき、
そして2人が既に鬼籍の人であるのを知ったとき
僕は味わった。


b0054886_1492756.jpgさてエンデの『モモ』のこと
初めて読んだのは中学生のころか
続けて『はてしない物語』を読み、直後に第二章が映画化され
観に行ってみたもののがっかりした記憶がある。

b0054886_1494110.jpg時間どろぼうが僕の中で形を持ち始めたのは
高校に上がって『パパラギ』を読んでからだった。
南海の酋長ツイアビにとって
西洋人の風習の中で一番理解できなかったのが
お金を払い暗い箱に入って動く写真を眺めて時間を過ごすことだった。

大学に上がり、近所のレンタルビデオ屋が100円セールを始めた。
もとより嫌いではなかったのもあるが
1本3、400円で借りる気になればという気持ちで5、6本借りて帰る日が続いた。
もちろん生活を崩した。
終電を逃し、始発までカラオケで時間を過ごすのも覚えたし、
不眠症もどきでいろんなプレッシャーから逃避しようと漫画喫茶で眠くなるのを待ったりもした。
ビデオが回っている間、カラオケのフリータイムが終わるまでの間、
漫画をめくっている間、それに没頭して他のことを考えずに済んでた。

いつしか僕は時間を買っていた。
ビデオ屋には1本当たり60分から120分程度の時間が山のように並んでいる。
カラオケでは皆で十数曲分の時間を買ってる。
漫画喫茶では1時間買うより3時間買った方が得かもしれない。
古本屋なら一冊100円で2時間くらいは持つかな。

何かをするというのは、時間を消費することだ。
いつから時間を消費するのにお金を使うようになったのだろう。
いつから人は時間を売るようになったのだろう。


池波正太郎は言う。
人は自分が死に行く存在であるのを知るべきだと。

モモはツイアビは僕をどう見るだろう。
僕の時間は限られてる。
残された時間を僕はどう使うのだろう。
[PR]
by gongduck | 2005-05-24 14:04 | 文化的生活

ハウルの動く城

ジブリ映画を映画館で観るのには、なぜか抵抗がある。
今回も正直観るつもりはなかったのだけど、待ち時間に家族と観てしまった。

何だか伏線も張り切れてないし、物語の世界観も甘く、
作品のメッセージ性も読み取りにくいし、らしくないと思っていたら
原作が別にあったんですね。

ハウルとソフィの愛の話といいつつこの物語のミソは
それぞれの登場人物が魔法なり、呪いなり、悪魔との契約によって
姿を変えていくところにある。 ということにしといて、

形態に現れた変化は登場人物たちの二面性を表わしつつ、
一方で姿を変えながらも一貫して持ち続ける芯を彼らは持っている。

姿を変え、変えられ彼らは変化しつつ、かと言って全く違う人格になるわけでもない。

役者の腕の見せ所


木村拓也には期待する方が間違ってるとして、
(ハウルという役どころ自体が最初からそれほど深いものではなかったのかも)

その点で賠償千恵子のソフィは残念だったかなと思う。

う~ん。
やっぱり寅さんファンの僕としては、こう見たい。

そもそも、この『ハウルの動く城』は映像化すべき物語ではなかったのかもしれない。

僕が感じた違和感
消極的な性格ながら、若くて元気なはずのソフィよりも、
お婆さんに変えられてからのソフィばあさんの方が、はるかに楽観的で行動的なのである。

もちろんそれは、ハウルへの恋心や突然投げ込まれた境遇での成長かもしれない。

しかし目をつむっていたならすんなり受け入れられるかもしれないソフィの成長も、
成長と逆行する姿の変化を見せられると、それは成長としてではなく
うら若いソフィと逞しいソフィばあさんが全く別の人格に見えてしまう。

しかもソフィは
「歳をとっていいことは、驚かなくなることだね。」
と、どうも精神までもお婆さん化してしまうらしい。

こうなると一体ソフィの成長なのか、単なるお婆さん化なのか訳が分からなくなる。
精神がお婆さん化しても、ハウルへの恋心はお婆さん化しないのだろうか。

さらに魔女三輪明宏の年齢を超越した若い美男への執心を並行して見せられると
これがハウルとソフィ婆さんの愛の物語に見えてしまったり。。。

これは冗談です。。。。

もっと伏線や世界観を作り込めたはずなんだけどな。惜しい。

うん。
賠償千恵子はよくやったと思う。
これは目をつむって観る映画なんだ。
いやいや自分の頭の中に描いて楽しむ物語なんです。

何だかんだ言いつつ、本当は楽しく観ました。

エンドロールで、大泉洋と我修院達也を見つけたときは思わず嬉しくて笑ってしまった。
[PR]
by gongduck | 2004-11-24 20:57 | 文化的生活