かりんとうblog

耳塚2

耳塚週間1  朝鮮通信使紀行の続き   その1 その2
連休中、基本的にいつも通りの研究室通いだろうけど、ここは一つ耳塚に取り組んでみようと思う

写真撮って見直してみると、石柱寄進の発起人が見えてきた。
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正面右の石柱には
伏見 勇山事 小畑岩次郎
その裏面には
大正四年 五月 建立

ここにはないが、正面左の石柱には
伏見 勇山■ 一家中 とある
当たってみると小畑岩次郎というのは明治末期の京都伏見にいた博徒の親分らしい。
勇山というのは素人相撲の四股名で、何度か京都の勧進相撲を執り行ったとか。

ざっと石柱の名を眺めてみると
歌舞伎役者、浄瑠璃、新派劇俳優の名前のようだ。
川上音二郎の名もある。

勧進相撲と博徒の関係。
そして演芸界と博徒の関係。
相撲界とは勇山事の趣向もあるだろうが主に興行上のつながりだと思われる。
しかし歌舞伎などの芸能興行にも博徒が関わっていたのだろうか。

役者、劇作家に焦点を当てた近代歌舞伎、近代劇の研究は多くみられるけれど、
興行、経営形態を対象にした研究はなされているのだろうか。
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もう一点、大正4(1915)年という時期も意識しないといけない。
何しろ同年、対中二十一ヶ条の要求
五年前の明治43(1910)年には日韓併合という時期柄だもの。

そういった時代背景と、博徒、芸能者たちにとっての耳塚、秀吉。。
近代日本人の耳塚、秀吉観。そして耳塚を介して見えてくる朝鮮観。
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by gongduck | 2005-04-29 18:18 | 朝鮮通信使と耳塚project