かりんとうblog

ハウルの動く城

ジブリ映画を映画館で観るのには、なぜか抵抗がある。
今回も正直観るつもりはなかったのだけど、待ち時間に家族と観てしまった。

何だか伏線も張り切れてないし、物語の世界観も甘く、
作品のメッセージ性も読み取りにくいし、らしくないと思っていたら
原作が別にあったんですね。

ハウルとソフィの愛の話といいつつこの物語のミソは
それぞれの登場人物が魔法なり、呪いなり、悪魔との契約によって
姿を変えていくところにある。 ということにしといて、

形態に現れた変化は登場人物たちの二面性を表わしつつ、
一方で姿を変えながらも一貫して持ち続ける芯を彼らは持っている。

姿を変え、変えられ彼らは変化しつつ、かと言って全く違う人格になるわけでもない。

役者の腕の見せ所


木村拓也には期待する方が間違ってるとして、
(ハウルという役どころ自体が最初からそれほど深いものではなかったのかも)

その点で賠償千恵子のソフィは残念だったかなと思う。

う~ん。
やっぱり寅さんファンの僕としては、こう見たい。

そもそも、この『ハウルの動く城』は映像化すべき物語ではなかったのかもしれない。

僕が感じた違和感
消極的な性格ながら、若くて元気なはずのソフィよりも、
お婆さんに変えられてからのソフィばあさんの方が、はるかに楽観的で行動的なのである。

もちろんそれは、ハウルへの恋心や突然投げ込まれた境遇での成長かもしれない。

しかし目をつむっていたならすんなり受け入れられるかもしれないソフィの成長も、
成長と逆行する姿の変化を見せられると、それは成長としてではなく
うら若いソフィと逞しいソフィばあさんが全く別の人格に見えてしまう。

しかもソフィは
「歳をとっていいことは、驚かなくなることだね。」
と、どうも精神までもお婆さん化してしまうらしい。

こうなると一体ソフィの成長なのか、単なるお婆さん化なのか訳が分からなくなる。
精神がお婆さん化しても、ハウルへの恋心はお婆さん化しないのだろうか。

さらに魔女三輪明宏の年齢を超越した若い美男への執心を並行して見せられると
これがハウルとソフィ婆さんの愛の物語に見えてしまったり。。。

これは冗談です。。。。

もっと伏線や世界観を作り込めたはずなんだけどな。惜しい。

うん。
賠償千恵子はよくやったと思う。
これは目をつむって観る映画なんだ。
いやいや自分の頭の中に描いて楽しむ物語なんです。

何だかんだ言いつつ、本当は楽しく観ました。

エンドロールで、大泉洋と我修院達也を見つけたときは思わず嬉しくて笑ってしまった。
[PR]
by gongduck | 2004-11-24 20:57 | 文化的生活